【夏目かをる 恋愛小説】眠れない夜 第一章~百合の場合(3)

【夏目かをる 恋愛小説】眠れない夜 第一章~百合の場合(3)

(前回までのあらすじ)成功者の夫に子どもふたり、アパレルブランドのディレクターとして人も羨むような人生を歩んできた百合。しかし夫の不倫が発覚し、心は揺さぶられる。そんな時、引っ越し祝いのパーティに図々しく愛人がやってきた。激しく動揺し思わず衝動的な行動に出てしまった百合ー。



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第一章・百合の場合(3)

 東京に上陸しようとした台風が、朝方には太平洋の海上に進路を変更した。台風一過の清々しい朝、寝室にある南側の窓を開けると、多摩川から秋の風が入ってきた。百合の隣にある健司のベッドは、週末にメイキングをされたまま静まり返っていた。

 引越しパーティーの日に、キッチンでオイスターナイフを及川美和に突き付けたことを、健司は美和から聞いていた。だが百合をとがめると、不倫を認めてしまうことになる。だから健司は無言を貫いているが、夫婦の間のすき間風は日に日に強くなっていった。

 いつものように朝食を用意した百合は、明日香と匠を玄関で送り出してから出勤すると、代官山駅で秋吉瑤子から「デザイン画すべて完成」というメールをもらった。瑤子との打ち合わせのために、その日の予定を急いで調整して、百合は門前仲町にある瑤子のアトリエに向かった。

 想像以上に、素晴らしい出来栄えだった。外に出ると、夕方の空の色があたりを包み込んでいた。瑤子から富岡八幡宮の参拝を勧められた百合は、深川不動堂の前で立ち止まった。
深川不動堂から深い橙色の柔らかな光が放っている。旅人が囲炉裏に手をあてて心身を温めているようなイメージが浮かび上がった。参拝する人を惹きつけるようなうっとりさせる光は艶やかで色っぽい。百合は引き寄せられるように参道を歩いた。

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 すると「楠本さん」と後ろから呼び止められた。同じ会社の新垣歩だった。

「あら、どうしてここに」

「この辺に住んでいるんです」

「仕事は?」

「今日は有休なんです。休みたくないけど、係長がどうしても取れって」

 東陽町にある倉庫部門主任の新垣は30歳で管理者に抜擢された優秀な社員だ。35歳の今、肉体の逞しさだけでなく、精悍さも漂っている。新垣に憧れている独身女性社員も少なくないが、プライベートのことは全く聞こえてこない。

「楠本さんこそ、どうしたんですか。まさか神社仏閣が趣味で、深川不動堂に参拝しているとか」

「まさか」

 くすっと百合が笑った。

「ですよね」

 新垣も笑うと、ほっとした。二週間前の引越しパーティーから、笑ったこともなければ、笑顔を振りまいてくれる人もいなかった。

「デザイナーと打合せの帰りなの、深川不動堂があまりにも艶っぽいから、つい」

「ですよね。深夜の深川不動堂はもっとエロいですよ。花魁の亡霊が出てくるみたいで」

「亡霊が出るの?」

「まさか」

 新垣が声を挙げて笑った。

「楠本さんはすぐ真に受けるんですよね。そこがいいところでもあるんだけど」

「年上をバカにしないで」

「してないですよ」


 新垣のスマホからメールの着信音が鳴った。メール画面をちらっと見てから「楠本さん、お茶しませんか」と誘ってきた。

「18時まで社に戻りたいんだけど」

「じゃあ、30分ぐらい」

「どうして」

「あ、いや。約束していた友達がキャンセルになったんで」

「友達の代わりになれないけど」

「お休みに誰かと話したいんですよ」

「へえ。意外と孤独なんだ」

「はは。『意外と』というのは、なしで」

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 新垣の半歩後からついていくと、路地の向こうにガラス張りのカフェが現れた。下町ならではの和カフェを期待していた百合には驚きだった。
 意外と言えば、男性とふたりきりでお茶をするのは結婚後、初めてだった。しかも本社以外の社員というのも異例中の異例。きっと話は、会社の人事や今後の動向かなと百合は思った。世間話だけで30分も持ちそうにない。

 窓際のテーブル席に新垣と向かい合って座り、カフェの名物というのジンジャーティーでほっこりした百合は、新垣に入社時期を尋ねた。7歳年下の新垣は同期が3人で、そのうち2人が転職したという。

「同期がいなくなったのね。私と同じね」

 あと10分で社に戻ろうと決めた時だった。新垣が真顔になった。

「前から気になっていたことを、今ここで言ってもいいですか」

 百合は驚いたが、否定する理由もなかった。

「嫌と言えば、もっと言いたくなるでしょ。いいわよ」

 すると新垣がコホッと小さな咳ばらいをしてから、再び百合を正面から見た。

「人に好かれようとしているのをやめたほうがいいと思うんです」

「え? 何を言っているの」

 百合は驚いた。

「もっと自分らしく生きて欲しいんです。楠本さんなら、それができると思うんです」

「あなたは……」

 私の何を知っているというの。ただ同じ会社というだけで、どうしてそこまで言えるの。
 新垣が注文した珈琲がカップの中で黒く澱んでいた。目の前の男を警戒し始めた百合だったが、新垣は意外なことを口にした。

(つづく)



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この記事のライター

ワーキングウーマン2万人以上の取材をもとに、恋愛、婚活、結婚をテーマにコラム、ルポ、小説など幅広く活動中。

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