
夫婦のカタチはそれぞれ。それを創り上げていくのが人生
日本だと、「男女の結婚=夫婦」のイメージが根強くありますが、世界という視野でみると、フランスにはパートナーとの共同生活において、結婚しているのと同じだけの権利を得られるPACS(民事連帯契約)という制度があったり、欧米諸国などでは同性同士の夫婦が法律で認められていたりと、夫婦の形は本当にさまざまです。成人式を迎えた翌日から急に大人になれないのと同じで、戸籍上では夫婦でも結婚したからといってすぐに夫婦になれるものではなく、夫婦も徐々にふたりだけの夫婦のカタチができていくものなのかもしれません。
私は結婚して10年以上経ちますが、私にとって夫は「チームメイト」のようなものです。 家族という同じチームで、共に目標に向けて努力したり、時に切磋琢磨したり、励まし合ったりしながら、同じゴールに向けてむかっているような、そんなイメージを持っています。 そもそも、人間関係でも、自分自身のことでも、完全なものはありません。私たちは完全にはわかりあえないから、相手のことを思ったり心配したり力になりたいと思い、未完成で未熟だからこそ、頑張ろうと向上したり夢を持てたりするのではないでしょうか。
いびつだからこそ、不完全だからこそ、私たちの間には温かい感情がうまれるのだと思います。なので、「夫婦とは?」を決めるのはあなた自身でいいはずです。 その答えを、共に探す旅をしていくのが夫婦なのかもしれません。
相手を尊重すること。意味のある余白をつくること
結婚生活の中では、「相手と相手をとりまく環境を尊重すること」が大事だと感じます。結婚すると、相手の家族、親戚、友人といった新しい人間関係が生まれます。「大切にする」というのは、常に相手のために何かをする、相手のすべてを理解する、ということとは少し違って、「あえてやらない」という選択肢をとることも優しさの形だと思います。
長くいれば必ず通じ合える部分があります。ですが、触れてほしくないことは、たとえ夫婦でも聞かないことが大切です。たとえば、過去の出来事やセンシティブなプライベートなことや秘密にしたいこと、相手が話したくないことにはあえて踏み込まないようにしたり、時に気づかないふりをしたりすることも大切です。
そうした知り尽くせない部分も含めて、相手のことを愛せる、大切に思うことが、大事だと感じています。携帯やメール、手紙、給与明細。どこまでが許可がなくてもシェアしてOKで、どこまで踏み込んで大丈夫なのか。
「後ろめたいことがないならすべてオープンでも良いのでは?」という考え方もあると思います。ですが、何をイヤだと感じるかの基準は人それぞれです。昔、VIP接遇の仕事をしていた際、お客様のお名前をお呼びして接遇にあたるのを「名前を覚えてくれてありがとう!」と喜んでくださる方もいらっしゃれば「プライバシーが周囲に伝わるのはちょっと...」という方もいらっしゃいました。
ひとつのことでも感じ方はそれぞれだからこそ、その人その人の感性を尊重することが重要なのです。信頼関係というのは、相手のことをすべて理解していなくても築けるものだと信じています。建築家の安藤忠雄さんは、余白のスペースを作り出すことによって、人々がほっと一息つける空間になるとおっしゃっていました。になると言っていました。もしかしたら、心の空間にも同じことが言えるのかもしれませんね。『余白の美』と言う言葉があるように、意味を持った余白というのが存在すると感じています。迎え入れる優しさや温かさのようなものは、少しの余白のようなものがあるからこそ、うまれるのではないかと思います。
日々の生活の中で“待つ”意識を持ち相手が話しやすい環境をつくる
ホテルでVIP接遇に従事していた際、支配人に「待つことの大切さ」を教えられたことがあります。相手の言葉や反応を待つことが、いかに大切かということです。たとえば、相手の話をきちんと聞かずに早合点して怒ったり、結論を急ぐあまり途中経過が説明不足で誤解を与えたり、時間がないからとコミュニケーション不足だったりすることがあります。
これはすべて「待つ」ことができれば防げたことです。「待つ」というのは、ただボーッと相手から反応がくるのを待っていることではなく、相手が答えやすくなる環境をつくること。そしてさらに、笑顔で待つ、あいづちをうつ、相手が話そうだなと思うような微笑みができることだと言われました。とはいえ、元来私はせっかちなほうです。仕事ではどうしても早急な決断を求められるときがありますし、毎日慌ただしく過ごしているとつい「待つこと」を忘れてしまいがちですから、気をつけなくてはと思っています。
自分に覚悟があるかどうか
夫婦だけでなく人間関係において良くないなと思った振る舞いをしてしまったとき、「謝罪すれば許される」という考え方は、学生までのように思います。たとえ許してもらえなかったとしても謝罪しようと考えるのか、自分の心の中だけで留めておくのか。
「許してもらえるかも」「たぶん大丈夫だろう」という相手への期待を求めるのではなく、自分の言葉と行動に、最後まで責任を持つことが大事だと感じます。たとえ許してもらえなくても、心に留めておくのがどんなに苦しくても、それは自分の覚悟の問題です。覚悟を決めるということは、もうひとつの選択肢を捨てることですから。状況や内容によると思いますが、リカバリーできる方法があるかどうかも答えがありません。もしかしたら謝罪することで、相手を傷つけたり嫌な気持ちにさせるかもしれない。だからこそ、そういう気持ちにさせてしまうのだという、自分の行動や言葉に責任を持つことが重要ではないでしょうか。
夫婦が生涯添い遂げるために私が思うこと
現在、私の夫はアメリカの大学の研究チームに所属し、救急・集中治療領域の研究をしています。夫はアメリカに住んでいて、私はアメリカと日本を行き来する生活をしています。 日本にいた頃の夫は、救急医としてICUやドクターヘリなどで激しく働いていました。私が起業したばかりの頃です。要領の悪い私はいつものごとく、すべてのことに慣れず四苦八苦していました。
そんなある日彼が「黒いネクタイ、どこにあったかな…」と。聞くと、同級生のお通夜に行くといいます。毎日患者さんの対応に一生懸命だった同級生は、自分の体の具合が悪いことに気づかなかったそうです。連絡が取れずに心配した彼の彼女が家へ行くと、彼はベッドで眠るようにして亡くなっていたそうです。
お通夜から帰った夫は、彼女が「ごめんなさい、もっと早く行けなくてごめんなさい…」と泣き続けていて見ていられなかったと言います。医療的なことだけを言うと、彼女がもっと早く行けていたとしても彼はおそらく亡くなっていたそうですが、それでも彼女がそう思ってしまう気持ちもわかります。
そのことがあって以来、私は考えるようになりました。私も彼女と同じことを思わないだろうかと。目の前の仕事にばかり没頭していて、ある日私も後悔しないだろうか。このまま、私は仕事をしていてよいのか。彼を支えなくてよいのだろうかと。迷ったあげく、そんな私の迷いを夫に伝えたところ、彼がこう言いました。
「人生はこれだと思えるものを持って、やりがいを持って生きていくことが大切なんだと思う。俺はそういう生き方ができる女性を尊敬している。そういう姿を見ると自分も励まされるから。俺は支えはいらない。お互い胸を張って生きよう」と。
今でも、そう言ってくれた言葉を、時々思い出します。胸を張って、私自身を生きる。誰でもない自分自身の人生を精一杯生きることが、夫婦が長く寄り添う秘訣にできたらいいなと思います。
リサ・コミュニケーションズ代表 大網理紗
話し方&国際基準マナーのスクールRiSA Communicationsを設立。国際基準マナー講師。