
独特の感性と語り口調で人気の絵本コーディネーター東條知美さん。今回は新しいことを始めたばかりのこの季節にこそ、知りたい【上手くいかなくて落ち込んだ時に読みたい絵本】を紹介してもらいました。大人にこそ、絵本が必要なんです。
失敗してネガティブ沼にはまっちゃうあなたへ
風薫る5月。こんにちは、令和!
新しい時代とともに、一年でもっとも気持ちの良い季節がやってきました。ところで、「これまでに何か失敗したことがありますか?」と聞かれたら、皆さんは何と答えますか?
・・・ その失敗を思い出した途端、さっきまで感じていた爽やかな風が、しだいに重苦し~い空気へと変わっていくのを感じませんか。
“失敗”という経験はすごいもので、いつまでも脳内に残り、その時の気持ちや状況を再現し、私たちに「キケン」と働きかける性質を持っているのだそうです。
「わたし、失敗しないので」…これは、米倉涼子が凄腕の外科医役を演じたドラマ『ドクターX~外科医・大門未知子~』(テレビ朝日系列)の決めぜリフです。クールに言い放たれるこの名セリフこそが、ドラマの大ヒットの決め手となったと言っても過言ではないでしょう。なんたって、痛快だもの!
脚本家の中園ミホによると、ある時ふとテレビで見た、ロンドン五輪で金メダルを獲得した女子柔道・松本薫の言葉がヒントとなったのだそうです。インタビュアーの松岡修造から「失敗は考えなかった?」と聞かれた松本薫は「私、ミスはしないので」と答えました。天晴れ!
名ゼリフ誕生のきっかけは、職業こそ違えど、自らの努力によって“尋常ならざる強さ”を手にした、誇り高き女性から発せられたものだったのですね。言葉にすることで、さらに自らに課せる覚悟…というのもあったのでしょう。はんぱないなあ。
強さや完璧さに憧れを抱きつつ、本当は失敗しない人間などどこにもいないのだということを、私たちは知っています。
「失敗は成功のモト」「失敗から学べ」「挑戦のないところ、失敗もない」・・・
はいはい、もう知ってる、知ってるよ。小学生の頃から何度も聞かされてきたよ。でも上手くいかない時はどうしても落ち込んじゃうんだよ! しばらくはネガティブ沼にはまっちゃうんだよ!・・・という私とあなたのために。
優しく寄り添ってくれる絵本をご紹介します。
『3びきのかわいいオオカミ』(ユージーン・トリビザス 文/ヘレン・オクセンバリー 絵/こだまともこ 訳 冨山房)

だれもが知っているお話「3びきのこぶた」が、楽しくひねられた“パロディー絵本”。
親元を離れ自分たちの家を建てなければならないことになった「3びきのかわいいオオカミ」と、「とんでもないわるブタ」による攻防。
はじめはレンガの家、お次はコンクリートの家…。オオカミたちの作る家は、どれだけ頑丈に作っても、その都度非情なわるブタによって破壊されてしまいます。
3びきのかわいい憐れなオオカミたちは、いったいどうしたらよいのでしょうか…?
* * * *
礼儀正しく真面目、穏やかな性格のオオカミたちに、落ち度はありませんでした。
ところが このブタ、わるいのなんのって もう とんでもない わるブタだったんです。
…なにゆえ、あのような凶悪なブタにつけ狙われることになったのでしょうか?
最初のレンガの家は、ハンマーで打ち壊されました。2軒目のコンクリートの家は、電気ドリルでめちゃくちゃに。3軒目、鉄条網を張り巡らせ南京錠を67個もかけた家も、ダイナマイトでどっか~ん!…非常にもすべて破壊されてしまったのでした。もう、たまったものではありません。
・・・不条理。どう考えても不条理。あんなのが相手では何をやってもうまくいかない。あのブタ、サイコパスなんじゃないの~!?
でもね、ちょっと待ってください。
繰り返される失敗の裏には、きっと私たちが見落としてしまっていることがあるはずです。
最初にわるブタを近くの道で見かけた時、挨拶もせずに家に駆け込み、鍵をかけたのは誰?
家に入れて欲しがったブタに、3びきのオオカミが返した言葉はどんなものだったのでしょう?
ギリシャの有名な詩人であり劇作家、テレビの脚本も書いているユージン・トリビザス(今作品の作家)は、犯罪学者でもあります。
イギリスに伝わる昔話を大胆にユニークにアレンジしたこの物語は、(あまりの展開に)読者をハラハラさせたり大笑いさせたりしながら、最後に(あくまでさりげなくですが)ある種の気づきをあたえてくれる…大人にもぜひおすすめしたい絵本です。
何度やってみてもうまくいかない時は、その視点をちょっとだけ(あるいは180度)ズラしてみて。
だいじょうぶ。失敗の本質に気づくことのできたあなたなら、もう同じパターンを繰り返すことはありません。
『うえきやのくまさん』(フィービとジョーン・ウォージントン 作、絵/まさきるりこ 訳 福音館書店)

あるところに、うえきやのくまさんが、すんでいました。
くまさんは、スコップと くまでと、ちいさな あかい ておしぐるまを、もっていました。
(略)
2じになると、くまさんは、スコップと くまでを ておしぐるまに つみこんで、じぶんのいえの はたけに でかけました。
ぎぃー がたん、ぎぃー がたん!
(略)
くまさんの やさいは とても おいしいので、きんじょの ひとたちは、よろこんで くまさんの やさいを かいました。
くまさんは、いつも、「こんにちは」や「どうも ありがとうございます」を わすれません。
* * * *
この“仕事をするくまさん”が主人公の絵本は、シリーズで他に「パン屋さん」「石炭屋さん」「郵便屋さん」があります。どのくまさんにも共通するのが、朝から夕まで淡々と、自分のやるべき仕事をやっているという点です。
そこにはいっさいの迷いも、邪心も、焦りもありません。
・・・ここまで書いていて気がつきましたが、このくまさんにはいわゆる“野心”というものはないのかもしれません。
自分の愛する仕事を、信じたやりかたでただコツコツと続けた結果…おいしい野菜、美しい花を育てる技能が磨かれたのでしょう。お客さんから絶大なる信用を得るに至ったのでしょう。
失敗にもいろいろな種類がありますよね。
◆むずかしい挑戦をした際の失敗
◆状況の読み間違いや、思いこみが引き起こした失敗
◆気のゆるみや勘違いが引き起こした凡ミス
・・・
『うえきやのくまさん』に野心がないからといって、挑戦も失敗もなかったとは思いません。自然を相手にした仕事では、私たちの想像もつかないようなアクシデントも無数に起こることでしょう。
害獣被害に泣いた年もあるかもしない。
それでも、だからこそ、
毎日やるべきことをコツコツと、試行錯誤しながら続けた者にしか持つことのできない“揺るぎない自信”を・・・笑顔などひとつも描かれないくまさんではありますが、わたしにはひしひしと感じられるのです。
『うれないやきそばパン』(富永まい 文/いぬんこ 絵/中尾昌稔 作 金の星社)

物語の舞台は、おじいさんが営む昔ながらの町のパン屋さん。ある日、隣町におしゃれなパン屋ができて以来、すっかり客足が減ってしまいます。売れ残りのパンを毎日捨てることに我慢できなくなったおじいさんは、隣町のパン屋を真似て、生クリームとフルーツをたっぷり乗せたおしゃれなデニッシュを作って店に出すことにしました。
古くからこの店に並ぶあんぱん、クリームパン、ジャムパン、カレーパンたちは、すぐに超売れっ子となった、かっこよくて威勢の良いデニッシュ(名前はポール)にすっかり気圧されてしまいます。
売れないやきそばパンのピョンタは、おじいさんのためを思い、この店を去ることに決めます。そんな時・・・
「このあじよ おもいだすわ」
子供を連れたひとりの女性がやってきます。女性がやきそばパンを食べると、その胸は懐かしさでいっぱいになるのでした…。
* * * *
漫画風なタッチの絵、擬人化されたパンの超個性的ないでたちに一瞬で心を掴まれるこちらの絵本。
一所懸命がんばってみても、どうしてもうまくいかない時って、人生にはあると思うんです。
(きっと)「ブーランジェリー○○」みたいな新しいパン屋が近くにできたら、行ってみたいと思うのが人情。さらに「インスタ映え」が人々の購入行動における大きな動機となった今、目新しくて「ばえる」ポール(デニッシュパン)ばかりがモテるのも仕方がありません。
ああ、でもよかった、ピョンタ(やきそばパン)の美味しさをちゃんと覚えてくれてくれている人がいて。
上手くいかない時もある。
そこで(上手くやれている)他人と自分を比較してみて、「いらぬ改善」と思ったらそのままでいることも必要なのです。
どんな時もかならず、真面目に取り組んでいれば、見てくれている人はいるものだ・・・というのが、半世紀近く生きてきた私の実感です。
やるべきことを、誠実に。がんばりましょ。
絵本コーディネーター 東條 知美
子どもから高齢者まですべての層に向け“毎日がちょっと豊かになる絵本”をコーディネート。講演・テレビ出演等、活躍の場を広げている。