
女性のための転職情報誌『とらばーゆ』の編集長を11年間務めたのち、住友商事で消費者向けの新規事業の立ち上げに関わった河野純子さん。現在はライフシフト・ジャパンの執行役員CMOであり大学院生でもあります。笑顔の素敵な河野純子さんにご自身の人生、働くということ、ライフシフトの考え方についてお話をうかがいました。第一回です。
男女雇用均等法施行の前年に就職活動
――今日はお会いできるのをとても楽しみにしておりました! どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。よろしくお願いします。
――さっそくですが、河野さんは新卒でリクルートに入社されていますが、なぜリクルートに入ろうと思ったのでしょうか?

私は水戸の出身なんですが、高校時代はオシャレが大好きでファッション誌をよく読んでいたんですね。それで編集者になりたくて、大学でも社会心理学を学ぶことにしたんです。でも私が就職活動をしたのは男女雇用機会均等法が施行される前年で、ほとんどの出版社は地方出身の四大卒女性の新卒採用を行っていませんでした。そのなかで、リクルートとマガジンハウスが男女差別のないフェアな採用をしていて2社とも応募してマガジンハウスにはご縁がなく(笑)リクルートに入社しました。
――そうだったんですか! 当時はまだ女性が働くということに対して消極的な時代だったかと思うのですが、河野さんは就職をすることに関してどのような意識をお持ちだったのでしょうか? 結婚したら仕事は辞めようと思っていましたか?
いえいえ、私は卒論で「女子学生の性役割意識とライフプラン」について論文を書いたくらいで、まったくそういうことは考えていませんでした。
――なぜそのような論文を書こうと思われたのですか?
私自身は三人姉妹の真ん中で、家族の中で性差を意識することは全くなかったのですが、中学1年生の時に男性教師から「女のくせに忘れ物するな!」と叱られたことがあって。“女のくせに”という言葉にショックをうけました。その時から男女差について考え始めたのかもしれません。
それと、地方都市での生活に窮屈さを感じていたので、東京で自分の意志で自由に生きたい、そのためにはちゃんと稼がなきゃという意識がありました。でも周囲には「仕事は結婚まで」と考える友人もいて、なぜそう思うんだろうと疑問に感じたことも論文のテーマにつながりました。
27,8歳で初めて“人生のゆらぎ”を経験
――リクルートの仕事はいかがでしたか?
とても忙しかったです! 夢中で働き続けて27,8歳になった頃にふと、「私の人生このままでいいのかな?」と思いました。
――このままでいいのかな? というのは結婚したり出産したりしなくていいのかな、 ということですか?
それもありますし、このままリクルートで仕事を続けていていいのかな? とも思いました。もともとファッション誌の編集をしたかったわけですし、私にはもっと他に輝ける場所があるんじゃないかな? などと考え始めました。
――当時は20代前半で結婚をして出産する女性が多かったと思いますし、その中でバリバリ働いて独身のまま27,8歳になったら今の27,8歳の女性たちよりも「このままでいいのかな?」と思ってしまいそうです。
そうなんですよね…恋愛の末に結婚があるものだと思っていたのに、なかなかうまくいかないし、母からのプレッシャーも激しさを増すし、苦しかったです。でもね、ある日ハタと気が付いたんです。「あれ? 私、結婚したいんだっけ?」って(笑)
――おお!
もしかしたら、“結婚しなきゃいけない”って思っているだけじゃないの? って。そしたらね、「人生にはしなきゃいけないものなんて何にもない。したいことがあるだけだ」って分かったんです。
――素晴らしいです。27,8歳でそこに気が付けるなんて…。
ありがとうございます(笑)それでね、このままリクルートで働き続けていいのかな? っていう思いもね、そう思うんだったら転職活動してみよう! と思って実際に動いてみたんです。
結婚してもしなくても多様な生き方があり自分自身がロールモデルになる
転職活動中、出版社をいくつか受けました。そして色んな人たちにお会いしてお話を聞いた結果、私はリクルートが発行しているようないわゆる“情報誌”の編集に向いているな、って分かったんです。
ファッション誌などの一般雑誌は読者に情報を届けるだけですが、リクルートが発行する情報誌は、読者にも情報を掲載してくれるクライアントにも働きかけて、世の中をより良い方向に動かしていくことができる “マッチングメディア”だったんですよね。
“転職活動”というアクションを起こしたことによって、実はそこに魅力を感じてやりがいをもっている自分に気が付くことができたんです。
――その後は迷いなくリクルートで働き続けたのですか?

ええ、自分の価値軸が定まったのでその後は全く迷いなく働きました。振り返れば、これが私にとって最初の大きなライフシフトでした。両親や世間の価値観ではなく、自分が主人公の人生を歩み始めたんですよね。
その結果、30代はとにかく忙しかったです(笑)33歳で『とらばーゆ』の編集長の打診を受けました。ですが私は入社してからずっと『住宅情報』を作ってきたので編集長になるなら当然、『住宅情報』の編集長だと思っていたので戸惑いました。
――なぜオファーを受けることにしたのでしょうか?
当時の上司に、「自分にとらばーゆの編集長ができるか分からない。何を信じて頑張ればいいんでしょう」と相談したら「このポジションはあなたのキャリアにとって大チャンス。あなたの良いところは読者に誠実であること。そこを信じてやれば大丈夫。どうしもうまくいかなかったら、いつでも帰ってきていいから」って言われたんです。それで、「ああ、置かれた場所で今まで通り読者に誠実に頑張っていればいいんだ」と思ってお受けしました。
それから迷いが生じた理由がもうひとつあって、住宅情報誌の仕事が本当にやりがいがあって楽しかったんです。
当時は、バリバリ働くそれなりにキャリアを積んだ独身女性にフィットする賃貸マンションはあまりなかったんですよね。妙齢の独身女性に部屋を貸すのをしぶるオーナーさんも多かったですし。それならば、と不動産会社にも商品開発をしてもらって「シングル女性のためのマンション購入講座」を開催したりもしました。
――キャリアを積んで収入もあるのに、独身女性というだけで家を借りられない時代があったんですね。しかし独身でマンションを買ってしまうと結婚が遠のく…なんて言われたりもしますよね(笑)
そうそう(笑)でもね、実際には結婚が決まったらマンションは資産として貸し出せばいいわけだし、まったく損する話ではないんですよね。
そんな風にやりがいのある日々を送る中での『とらばーゆ』編集長の打診だったわけだったんですけど、今思えば大きなチャンスをくれた当時の上司にとても感謝しています。その上司は女性で、新入社員のころから私にたくさんのチャンスをくれて育ててくれた方。良い仲間にも恵まれて、仕事の基礎力を身に着け、働く楽しさを体験することができた20代だったと思います。
――30代はとにかく忙しかった、ということでしたが、結婚や出産に関する迷いなどは生まれませんでしたか? 周りは子持ちの人たちも多かったと思うのですが…。
それが類は友を呼ぶというか(笑)私の周りは独身でバリバリ働いている女性たちが多かったんです。それに、「住宅情報」時代の上司や、「とらばーゆ」に異動してからお世話になった松永真理さん(※)など少し上に尊敬できる女性の先輩たちが多かった。なにより仕事が面白かった。だから迷いなく働き続けられたということもありますね。
――『とらばーゆ』の編集長としてどんなところにやりがいをもたれていましたか? 私はドンピシャで『とらばーゆ』世代なんです! 毎回楽しみに読んでいました。こんな働き方をしている人がいるんだなあ、とか思いながら。
そうなんですか! ありがとうございます。当時はまだまだ“女性だから”という理由で働くチャンスが少なかったり、自分に自信が持てなかったりすることが多かったんですね。“結婚しなきゃいけない”“もう30歳だから新しいことにチャレンジするのは遅すぎる”といった呪縛に苦しんでいた女性たちも多かったと思います。そういう女性たちに、結婚してもしなくても豊かな人生が送れるということや、働き方や生き方の多様性を提示して、自分の人生自体がロールモデルになるんだよ、ということを伝えたいと思っていました。自分たちには無限の可能性があり、働くことは楽しいんだと。
――終始ほがらかにそして楽しそうにお話してくれる河野純子さん。お話すればするほど、どんどんファンになっていきました。次回は、河野純子さんの40代~現在に至るまでのお話です。※第二回はこちらから
※松永真理さん…NTTドコモでiモードの事業開発にたずさわり時の人となった女性。リクルート出身。現在は著作家として活動中。
文/和氣 恵子、撮影/鈴木 志江菜
■河野純子さんプロフィール
1986年リクルート入社。『週刊住宅情報』副編集長、『とらばーゆ』編集長を経て、2008年に住友商事に転身。ファッション、教育分野の新規事業開発に取り組む。2017年に退職後、海外留学を経て、2018年より慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科に在籍。同時にライフシフト・ジャパンに参加。個人事務所にて事業開発コンサルティング・プロデュース活動を展開する。
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