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自分の人生、自分を主人公にして生きていますか? 人生100年時代が到来し、40歳になってもまだまだ人生は続きます。自分の人生に責任を持ち、自分を主役にして生きるとはどういうことなのか? ライフシフト・ジャパン 執行役員CMO 河野純子さんにご自身の“働く”や“人生”、ライフシフトについてお話をうかがいました。インタビュー第二回です。
40代は自分らしさが輝く楽しい年代
――河野さんの40代について教えていただけますでしょうか。どんな40代を過ごされましたか?
43歳の時に大きな出会いが二つありました!(笑)
が、その前にですね…40歳を目前にした30代の頃に漠然とした不安を感じたんです。「忙しく楽しく30代を過ごしてきたけど、40代ってどんななんだろう?」って。それで尊敬する元上司、松永真理さん(※)に聞いたんですね。「40代ってどうですか?」って。そしたら真理さんが「40代は30代に何かをちゃんと頑張ってきた人にとっては自分らしさが輝く本当に楽しい年代よ」って言ってくれたんです。それで「そうか!」ってなんか楽しみになって。40歳になる時に「どうしたら楽しい40代を送れるかな?」と考えて二つのことを決めました。
一つは“人生を共に楽しむ仲間を大切にしよう”ということ。もう一つは“体を大事にしよう”ということです。
――素敵ですね。
それで40歳の誕生日に、一流ホテルのシェフズテーブルとスイートルームを貸し切って友人たちを招待してシャンパンや食事を私がふるまって誕生日会を開催することにしたんです。自分の誕生日を“友人たちに感謝する日”にしたんですね。
――スイートルームを貸し切って、シャンパンや食事をふるまう! すごいです。
はい(笑)あとはね、体を鍛えようと毎年フルマラソンを完走するという目標を立てて、実際に40歳から毎年完走しています。3時間57分を記録したこともあるんですよ! 4時間をきるってなかなかすごくないですか?

――想像がつかない世界です(笑)ですが、40歳といえば体の不調も増える年ごろですが、よく40歳の誕生日に決めてすぐ完走できましたね!
会費だけを払い続けて全く行っていなかったジムに行って、トレーナーを観察して一番仕事ができそうな女性トレーナーを見つけて、「私、半年後にフルマラソンを完走したいんですけど、どうしたらいいですか?」って指導を仰いだんです(笑)
――さすが! アグレッシブかつ戦略的!
40歳でホノルルマラソンを完走した時にはものすごい気づきがありました。それは「私は自分の行きたいと思う場所に、自分の意志と体だけで行けるんだ」ということです。マラソンって自分の身一つでゴールするわけですよね。それを成し遂げたという事実は、「私は自分の意志で自由に自分の人生を創っていける。私は大丈夫」と、自信になりました。
43歳で二人の男性と出会う
43歳の時に、それまで週刊誌だった『とらばーゆ』を月刊誌にして、WEB版に力を入れていくことになりました。時代の流れを感じていたちょうどその頃、ヘッドハンティングされたんです。
――すごい! どんな出会いだったのでしょうか。
『とらばーゆ』の仕事の一環で、女性管理職のマーケットについてヘッドハンティング会社の方と情報交換する場を3か月に一度くらい設けていたんですね。ある日、リクルートの応接室でその方とお話している時に「実は今日は河野さんをヘッドハンティングしようと思ってきました」と言われて。「え! 会社でヘッドハンティングするの?」って驚きました(笑)
でも当時は月刊誌の立ち上げの時期でしたし、「すぐには無理だから」とお断りしたんです。そしたら、「無理なのは分かったけど、一度先方に会うだけでも会ってみませんか?」と言われて。勉強にもなるかなとお会いしました。そうしたら50代後半の、世界を股にかけてビジネスをしてきたものすごく素敵なジェントルマンが現れたんです。住友商事の方でした。リクルートはベンチャー企業で若い人たちばかりだったので、今まで一緒に働いたことがないタイプの男性でした。何度か食事をしてお話を聞くにつけ新しい世界にワクワクしました。
――新しい世界…素敵ですね。
当時は女性の活躍推進の必要性が言われ始めた時期。住友商事としても、女性管理職のロールモデルが必要でしたし、特に消費者向けビジネスを扱う部門では女性の視点を活かした新規事業が期待されていました。そんな流れで、多くの働く女性たちを見てきた私に期待をしてくださったのだと思います。結局、『とらばーゆ』はWEB版だけになり月刊誌をクローズさせることが決まって、私もリクルートを退職して住友商事に行くことに決めました。
そして43歳でもう一つの出会いは“今の夫と知り合った”ことです。
家を建てる相談に乗っていたら自分が住む家に
夫は当時、実家が古くなっていたのでそこを取り壊して「男の一人暮らしの家」に建て替えようと準備を進めていました。そんな時、共通の知人を通じて知り合ったのですが、私が「住宅情報」の仕事をしていたこともあり、彼の家づくりの相談にのっているうちにいつのまにか自分が住みたい家のリクエストをするようになり、今、その家に住んでいます(笑)
――運命的ですね!
そうですね…人生って本当に何がおこるか分からないですよね。別に転職したいとか、結婚したいとか思っていなかったのに、2007年の春に夫と知り合い、夏に住友商事にヘッドハンティングされて、翌年2月に婚約して、3月にリクルートを辞めることを決めて、有給消化中の5月に家が完成して引っ越しをして、6月中旬にバリ島で式を挙げて、それから月末までハネムーンを楽しんで、6月末に正式にリクルートを退職、7月1日から住友商事で働き始めました。もう怒涛の1年でしたね(笑)
――すごいー!
でも、何ひとつ無理して決めてないんですよ。自然な流れというか。40代を自分らしく楽しもう !
と思っていたら、ワクワクする出会いが待っていたという感じです。
約30年間の会社人生を経験し「もう雇われるのはいいかな」と感じた
――住友商事での仕事はいかがでしたか?

とても楽しかったですよ。リクルートと全く異なる文化の中でたくさんのことを学ばせてもらったし、良い仲間とも出会えました。英語ができないので、海外研修などは本当に大変でした。書類も英語で読まなければいけませんし…それもあって、住友商事を辞めてから英語力を磨こうと何度か短期留学に行っています。
44歳から住友商事の仕事を始めて、9年間で二つの新規事業を立ち上げました。その二つ目の事業を売却することになったとき、私は納得できなかったんですね。その時ふと自分の人生を考えたんです。「会社員でいる限り、こういうことっておこるんだな。30年近く会社員をやってきて、もう雇われることから卒業してもいいのかもな」って。
書籍『ライフシフト』を読んだのもこのころです。「そうか、人生は100年あって、85歳まで働くとしたら、この先まだ30年も働く時間がある。だったら、ライフシフトしよう。次の仕事は決めずに、これからの私にとって必要だと思うことを学ぶことから始めよう」と思ったんです。それで語学留学と、あとは、社会問題を解決する仕事がしたいと思っていたこともあって大学院で社会イノベーションについて学ぶことに決めました。
――旦那様は反対されませんでしたか?
実は夫は私と結婚した3年後に、自分が経営していた会社を一回やめて、ハワイにうどん屋を出店すると言ってハワイに行っちゃったんです。なので当時は家計を私一人で支えていました。そんな時期があったので、次は私が自由にやる番ね、と(笑)
――ええ! うどん屋さん? しかもハワイ! 旦那様は飲食業をやったことがあったんですか?
いえいえないです。経営していた会社はまったく違う業種ですし。なんでも子どもの頃、香川の親戚の家に遊びに行った時に食べたうどんの美味しさにビックリして、「いつかうどん屋さんをやりたい!」と思ったそうなんです。20代のころに会社員を辞めて香川で1年間、修行もしたそうなんですが、家業を継がなければならなくなって断念。そして50歳になった時に、一大決心をして挑戦したというわけです。彼にとってのライフシフトですよね(笑)
――50歳で会社を譲って、経験したことのない世界に飛び込む…しかもハワイで…旦那さんもすごいチャレンジャーですね。今、うどん屋さんはどうなっているんですか?
結局一緒にやっていたパートナーが体を壊してしまって、お店は売却して日本に帰ってきました。また今は自分の会社をやっています。
――43歳で二人の運命の男性に出会った河野さん。松永真理さんが仰るように、30代、がむしゃらに頑張ってきた人にはちゃんとご褒美が用意されているんだなあ、とシビれました。次回は住友商事をお辞めになられたあとの河野さんの人生、留学体験、ライフシフトの考え方などについてです。お楽しみに。※7月27日(土)12時公開予定
※松永真理さん…NTTドコモでiモードの事業開発にたずさわり時の人となった女性。リクルート出身。現在は著作家として活動中。
文/和氣 恵子、撮影/鈴木 志江菜
■河野純子さんプロフィール
1986年リクルート入社。『週刊住宅情報』副編集長、『とらばーゆ』編集長を経て、2008年に住友商事に転身。ファッション、教育分野の新規事業開発に取り組む。2017年に退職後、海外留学を経て、2018年より慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科に在籍。同時にライフシフト・ジャパンに参加。個人事務所にて事業開発コンサルティング・プロデュース活動を展開する。
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